メルマガ:近現代史を考える
タイトル:近現代史を考える(19)  2003/01/29


19.毎日新聞の世界的スクープ
  (1995年11月21日)
   その2



  前号で、毎日新聞の1995
年11月21日(火)朝刊の1面
に掲載された「日米開戦の引き金
・米の『ハル・ノート』核心部分
にソ連工作」と言う記事を御紹介
しましたが、この記事の関連記事
が、同号の3面に有るので、その
記事の一部も、以下に引用して、
御紹介します。内容は、真珠湾攻
撃の引き金と成った「ハル・ノー
ト」の作成にソ連の諜報機関が深
く関与して居たと証言したビタリ
ー・パブロフ氏と毎日新聞の一問
一答えですが、皆さんは、これを
読んで、第二次世界大戦に関する
見方が、何もお変わりに成らない
でしょうか?




(以下引用)
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毎日新聞1995年(平成七年)
11月21日(火)朝刊3面より



 人間心理ついた高等戦術

[ハル・ノート]ソ連工作


−−−−−−−−−−−−−−− 
[ロンドン20日三瓶良一]

 旧ソ連の対米諜報副責任者だっ
たビタリー・パブロフ氏が、今回、
毎日新聞に語った対米秘密工作
「雪作戦」の全容は、これまで
一度も語られたことがない内容だ
けに衝撃的だ。とりわけ、その目
的や動機・背景はもちろん、具体
的な実行方法、事後の評価に至る
まで、作戦の全過程が詳細に明ら
かにされ、日米ソ三国を中心に、
日米開戦へと突き進む当時の状況
を浮きぼりにした。パブロフ氏と
の一問一答は、次の通り。



   米政策を間接誘導



一.私は、一九四〇年に内務人民
  委員会の対外諜報活動の米国
  担当副責任者になった。私の
  部下の一人にビル(アフメー
  ロフの暗号名)がいた。ビル
  は米国人になりすまして米国
  に在住し、米国務省、財務省
  の中に何人かの協力者を持っ
  ていた。
一.四〇年一月、ビルがモスクワ
  に一時帰国した際に、彼と会
  った。当時、すでにナチス・
  ドイツの脅威を感じていた。
  ビルは米国入りの前は北京で
  任務についており、中国にお
  ける日本の拡張主義を、シベ
  リア干渉と重ね合わせ、ドイ
  ツだけでなく日本も脅威にな
  るとの見方を示した。
一.ビルは自らの配下に、米財務
  省のいるXというエージェン
  トを抱えており、Xの協力者
  の中にハリー・デクスター・
  ホワイトという、若くて有能
  な人物が居ると紹介した。ホ
  ワイトは反ファシズムの思想
  が人一倍強かった。しかもホ
  ワイトは、モーゲンソー財務
  長官の信任が極めて厚かった。
一.ビルとの話をまとめてベリヤ
  内務人民委員(内相)に、ホ
  ワイト工作に関する報告書を
  提出した。四〇年十月、ベリ
  ヤから呼ばれた。ベリヤは、
  「やってみろ。ただし極秘で
  やれ」と命じた。同工作は、
  「雪作戦」と名ずけられた。
  もちろんホワイト(白)の連
  想からつけられたものだ。
一.四一年五月、私は渡米し、ワ
  シントンのレストランでホワ
  イトと会食した。身分を隠し、
  中国情勢に関心のある一般市
  民を装った。私が「米国は日
  本に対し、中国における拡張
  主義に我慢できないと警告す
  べきだ」と言うと、ホワイト
  は「自分の考えも全く同じだ」
  と応じた。
一.四一年六月に対独戦が始まっ
  た。ホワイトがその後ハル・
  ノートに至るまで、好ましい
  影響力を発揮したことに我々
  は満足した。ホワイトは自ら
  の反ファシストの信念に基ず
  いて、その後も行動したはず
  だ。彼は後に米国で言われた
  ようなソ連のエージェントで
  はない。協力者にすぎなかっ
  た。エージェントはXで十分
  だった。我々はホワイトをう
  まく活用できた。
一.雪作戦の成功にビルの役割は
  大きかった。米国市民を装っ
  ていたビルはその後ソ連に戻
  り、七ニ年に年金生活に入っ
  た。雪作戦に関しては、KG
  Bにも資料は残っていない。
  この作戦はスターリンが考案
  したと一部で言われたが、
  我々現場からのイニシアチブ
  だった。




    対日戦回避へ「雪作戦」
    奏効




−−雪作戦の本来の目的は何だっ
たのか。

パブロフ氏 対独戦を遂行するに
当たり、極東で第二戦線(対日戦)
ができるのを防ぐことにあった。
そのため、米国が日本に対して警
告を発し、中国からの軍隊の撤退
を要求するように仕向けた。日米
開戦を初めからもくろんだわけで
はないが、戦争になったらなった
でよいと思っていた。

−−非合法活動に携わっている時
期が長いが、かなり危ない作戦に
も従事したのではないか。

パブロフ氏 殺人にはかかわった
ことはない。カナダ大使館勤務で
当地のスパイを指揮した時には、
米国のパスポートを所持して米国
人になりすまし、欧州まで足を伸
ばしたこともある。

−−雪作戦を指揮した当時、あな
たはNKVDの対米諜報部の副責
任者で、まだ二十六、七の若さだ
ったはずだが。

パブロフ氏 三八−三九年に諜報
員に対する大粛清があり、その影
響で完全に人手不足だった。粛清
で対外諜報を担当していた百人の
内、九十人がいなくなっていた。
そこで新たに補充をした。私もそ
の一人で、特に諜報活動の経験は
なかったが、この職務についてい
た。



−−−−−−−−−−−−−−−
(以上 1995年11月21日
 毎日新聞第三面より:写真1枚
 の他、この記事に関する識者の
 コメント記事が二つ有りますが、
 割愛します。




           (続く)








平成十五年一月二十九日(水)














         西岡昌紀     

(「アウシュウィッツ『ガス室』
  の真実」日新報道 著者)



   

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