メルマガ:近現代史を考える
タイトル:近現代史を考える(15)  2003/01/11


15.「ハル・ノート」とは
   何だったのか?




前号でお話しした通り、日本
がアメリカとの開戦を決意す
る事の切っ掛けと成った、言
わゆる「ハル・ノート」は、
当時の国務長官コーデル・ハ
ルが日本側に突き付けた文書
なので、「ハル・ノート」と
呼ばれて来ました。


その内容は、日本に対し、そ
れまでの歴史的経緯を無視し
て、中国大陸から軍隊と警察
を全て引き揚げよ、等と言っ
た内容の物で、当時日本が中
華民国と戦争して居た事をど
う考えるかは別としても、義
和団事件(1900年)以来、
日本が、条約に基いて、北京
周辺や満州に軍を駐留させて
居た事までをもやめよと言う、
信じ難いまでに一方的な要求
を並べた文書だったのです。


例えて言えば、今、2003
年の世界において、ロシアが、
突然、アメリカに、ヨーロッ
パに駐留する全てのアメリカ
軍を引き揚げよ、と要求した
様な物です。それほど非常識
な文書を、1941年の秋、
アメリカは、国務長官ハルの
手から、日本に突きつけてた
のです。


考えてもみて下さい。もし、
今、プーチン大統領が、ブッ
シュ大統領に、アメリカは
ヨーロッパから全ての軍を引
き上げよ、と要求したら、ア
メリカは、そんな要求を受け
入れるでしょうか?ヨーロッ
パにアメリカ軍が居る事の是
非について色々な意見は有り
ましょうが、とにかく、アメ
リカが、そんな事を受け入れ
ない事は明らかです。或いは、
今、中国が、突然、アメリカ
に日本と韓国から軍を引きあ
げよ、と言っても、現実問題
として、そんな事をアメリカ
が受け入れないのと同じです。
若い方の中には誤解して居る
方がおられると思いますが、
当時、日本と中華民国の間で
続いて居た戦争の是非と日本
が中国大陸に駐留して居た事
の当否は別の問題で、日本が
中国大陸に駐留して居た事自
体は、今、日米安保条約に基
いて日本にアメリカ軍が居る
のと同様、全く合法的な権利
だったのです。もし、それが
いけないと言うなら、それは、
日本と中華民国が外交交渉で
話し合う事で、アメリカには、
何も関係の無い事だったので
す。



ところが、アメリカは、日本
に、中国大陸からの日本軍と
日本警察の撤収を、突然、要
求し、それを受け入れないな
ら、石油はやらない、と言っ
たのです。



これが、「ハル・ノート」の
内容だったのですから、私は、
この時点で、日本の指導者が
開戦を決意した事は、非難出
来無いと思います。



中には、それでも、日本は、
戦争を避けるべきだった、と
言う方はおられるでしょう。
それは、最早、価値観の問題
ですが、皆さんは、どう思わ
れるでしょうか?


この点については、皆さんも
色々な考えを持たれると思い
ますが、今、私がここで論じ
たいのは、あの時、日本が開
戦したのは仕方が無かったの
か、それとも、それでも戦争
を避けるべきだったのかと言
う議論ではありません。私が
論じたいのは、そうではなく、
アメリカは、あの時、何故、
日本にあんな滅茶苦茶な要求
であった「ハル・ノート」を
突き付けたのか?と言う問題
の方なのです。


結論を言えば、当時のアメリ
カ政府の中枢には、戦争をし
たくて仕方の無い人々が居た
のであり、その人達が、日本
にアメリカを攻撃させて、戦
争を始める理由にしたかった
からだ、としか、考え様が有
りません。その事自体、恐ろ
しい事ですが、もっと恐ろし
い事は、その「ハル・ノート」
を書いたのが、実は、ハル国
務長官ではなく、アメリカ国
務省に潜伏して居たソ連のス
パイだったと言う事の方なの
です。


その事を語る物の一つが、前
号で御紹介した、毎日新聞の
1995年11月21日(火)
の世界的スクープなのです。


         (続く)







平成十五年一月十一日(土)










        西岡昌紀

(「アウシュウィッツ『ガス室』
  の真実」(日新報道)著者)


http://macky.nifty.com/cgi-bin/bndisp.cgi?M-ID=roosevelt
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