メルマガ:近現代史を考える
タイトル:近現代史を考える(4)  2002/09/10


4.一つの例え話



この事について、一つ、例え話をしましょう。

第二次世界大戦後、韓国が独立国と成った事は、
誰もが知る通りです。それは、全く当然の事で
したが、そこで、こんな事を想像して頂きたい
のです。

SFの様な話ですが、第二次大戦後、韓国が
日本から独立した際、連合国が、九州を韓国の
領土に編入したと仮定してみて下さい。しかも、
九州の住民は日本人のままで、そう言う国境
変更が行われたと想像して頂きたいのです。
そうしたら、一体、戦後の日韓関係は、どの様
な物に成って居たでしょうか?・・・

もちろん、そんな馬鹿な事は起きませんでし
た。しかし、もし、そんな国境変更がアメリカ
やイギリスによって勝手に行われたとしたら、
一体、戦後の日韓関係はどの様な物に成って
居たか?これを想像して頂きたいのです。

戦後、アメリカの統治下に置かれた沖縄で
本土復帰運動が沸き起こり、日本本土でも
反米感情が高まった事は、誰もが記憶する
通りですが、もし、沖縄以上の面積と人口
を持つ九州が韓国に編入されていたら、
一体、戦後の日韓関係はその様な物に成って
いたか?−−−九州では、九州の住民から
日本への復帰を求める声が上がらず、日本
本土の人々の間からも、韓国に九州の返還を
求める声が上がらなかったでしょうか?


何を馬鹿な、と思う方が多いに違いありません。
実際、幸いにして、日本と韓国の間にこんな
馬鹿な事は起きませんでしたが、これと同じ
くらい馬鹿げた事が行われたのが、ヴェルサ
イユ会議におけるドイツとポーランドの国境
確定だったのです。

即ち、九州が歴史的に韓国の領土でなかった
のと全く同様に、歴史的にポーランドの領土
ではなかった地域までをも新国家ポーランド
の領土に編入してしまったのが、ヴェルサイ
ユ会議が決めたドイツとポーランドの「国境」
だったのであり、この様な国境を外交的に
見なおそうとする動きが出る事は、全く当然
の事だったのです。

そして、ドイツは、この問題を全く平和的に
解決しようとしていたのですが、当時のポー
ランドは、そうした外交的解決を拒み、問題
を先鋭化させていました。そして、その背後
には、当時のアメリカやイギリスがポーラン
ドに対して影で行っていた外交的扇動が有っ
た事が、当時の外交記録から読み取れるの
です。(こんな事、御存知でしたか?)


                (続く)




2002年9月10日(火)






              西岡昌紀
(「アウシュウィッツ『ガス室』の真実」
  日新報道 著者)

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