メルマガ:近現代史を考える
タイトル:近現代史を考える(3)  2002/09/04


3.ヴェルサイユ会議が蒔いた紛争


第一次世界大戦後、ヴェルサイユ会議に
おいて敗戦国ドイツに莫大な賠償金が
科せられた事は、周知の通りですが、
同会議は、同時に、それまでドイツや
オーストリア、そしてロシアの統治下に
あったポーランドやチェコスロヴァキア、
ハンガリー、ルーマニア、等を新たな
独立国として誕生させました。

その事自体は良いのですが、問題は、
その際、それらの新国家の領土を何処
から何処までにするかと言う問題を
戦勝国が、住民の意志を無視して決定
した為に、そうした新国家同士の間に
領土問題が幾つも発生した事でした。
そもそも、東欧は、異なる民族が、
複雑に混住して来た地域であった為、
元々、一民族一国家と言う様な原理で
新国家を多数建国する事には無理が
有りました。そして、更には、中世
以来、多くのドイツ人がバルト海沿岸
やチェコ、ハンガリー、ロシア、等に
居住して居た歴史が有った為、これら
の新国家建国には、元々、誰もが納得
する国境など無かったと言うのが、
真実でした。それにも関わらず、第一
次世界大戦に勝利した国々は、ドイツ
・オーストリアからこれらの新国家を
分離、独立させる際、現地住民の意向
など全く無視して国境を確定してしま
いました。

その為、このヴェルサイユ会議によっ
てポーランドが独立国と成った事自体
は良いのですが、その新国家ポーラン
ドとドイツの国境確定において、歴史
的にはポーランド人の居住地域であっ
た事の無い地域までがポーランドに
編入され、そうした地域に居住する
ドイツ系住民から、ポーランドの統治
下で生活する事を拒否する声が上がっ
た事は、全く当然の成り行きだったの
です。これは、ヒトラーが登場する
以前に既に発生していた問題で、誰か
が解決しなければならない問題でした
が、重要な事は、ドイツは、この問題
を外交的に解決しようとして居た事で
す。戦後語られる「歴史」はこの事を
無視していますが、第一次世界大戦後、
ドイツは、ヴェルサイユ会議の国境
確定によって生じたこの問題を戦争で
解決しようとしては居ませんでした。

では、何故、この問題が、1939年
9月1日の開戦に発展してしまったの
でしょうか?



2002年9月4日(水)




            西岡昌紀
(「アウシュヴィッツ『ガス室』の真実」
  日新報道・1997年 著者)

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