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タイトル:非公式情報 第154号  2005/04/10


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ヨハネ・パウロ2世とネオコンの因縁

By StrangeLove

4月2日、ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世が死亡した。最近ではイラク戦争に反対するなど平和的なイメージの強い人物だが、スペインの独裁者フランコと近い関係にあったカトリック系秘密結社「オーパス・デュイ」に所属、あるいは深く関係していた過去を持つ。そのため、教皇になった当初は別の側面を見せていた。

例えば、1970年代から80年代にかけてラテン・アメリカではアメリカの支援を受けた軍事政権が「死の部隊」を編成するなどして反対勢力を弾圧し、多くの人間が殺害されている。こうした独裁政権を地元のカトリック教会は批判、彼らの主張は「解放の神学」と呼ばれるようになるが、そうしたグループとヨハネ・パウロ二世を中心とするバチカンは対立している。

勿論、ヨハネ・パウロ二世だけを批判することはできない。1963年から78年にかけて教皇を務めたパウロ六世は第2次世界大戦の前からアメリカの情報機関や犯罪組織と関係の深い人物で、この教皇の時代にはバチカン銀行で大規模な不正行為が行われたと信じられている。不正融資の多くはポーランドの反体制労組「連帯」に渡っていたとする関係者の証言がある。「バチカン・スキャンダル」だ。

1978年8月26日のコンクラーベでパウロ六世の後継者に選ばれたのがヨハネ・パウロ一世。弱者に深い愛情を注いでいた人物だと言われているが、9月28日午後11時から翌日の午前4時までの間に急死してしまう。今でも暗殺説が消えていない。つまり、在位は1カ月強。そして選ばれたのがポーランド生まれのヨハネ・パウロ二世だ。

1981年、その教皇はサンピエトロ広場で銃撃されて負傷した。犯人はトルコの右翼団体に所属する人物だった。1982年になるとネオコンのメンバーやCIAのプロパガンダ専門家が「ジャーナリスト」として「KGB(ソ連の情報機関)陰謀説」を宣伝しはじめ、日本のマスコミも大きな影響を受けた。

実は、教皇銃撃の2年前にエルサレムで「国際テロリズム」に関する会議が開催され、アメリカやイスラエルの情報機関関係者が参加している。そこで打ち出されたのが「テロリストの黒幕はソ連だ」とする話。そうした流れの中、CIAが「テロの黒幕」と戦う「自由の戦士」として育成した武装集団の中にアル・カイダも含まれていた。

その後「KGB黒幕説」が否定される一方、イタリアやアメリカの情報機関とのつながりが注目されるようになった。

それから約20年。ヨハネ・パウロ2世はネオコンの世界戦略を批判、対立する。自分に対する銃撃事件をソ連攻撃の材料にしたネオコンと、今度は自分自身が戦うことになったのだ。皮肉なことである。
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