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タイトル:非公式情報 第67号  2003/07/04


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悪路が続く中東和平への道

By STRANGELOVE

イスラエル軍がガザ地区やヨルダン川西岸の一部から撤退、ハマスなどパレスチナ側の武装グループも闘争の一時停止を発表した。これによって中東和平が進展するのだろうか?

イスラエル、アメリカ両国政府がパレスチナ人に認める自治は『捕虜収容所における自治』にすぎないと言われてきたが、こうした状況に変化はない。今回の撤退は戦術的、一時的なものと見るべきである。今後、状況に進展が見られるとするならば、アメリカ政府の中で中東問題を仕切っているエリオット・エイブラムズのほか、ポール・ウォルフォウィッツ国防副長官、ダグラス・フェイス国防次官、国防政策会議のリチャード・パール元議長、さらにコンドリーザ・ライス大統領補佐官など、イスラエルの軍事強硬派を支持しているグループがホワイトハウスを去る時であろう。

そもそも、イスラエルの政策で問題なのは軍事力の行使だけではない。例えば水の問題。中東では石油よりも水の方が重要だが、占領地のパレスチナ人はユダヤ系入植者の数倍の料金を払うように強いられている。法律が公正に運用されていないことは言うまでもない。ヨーロッパからの移民に圧倒された北アメリカの先住民(いわゆるインディアン)とパレスチナ人は似た状況にあると言えそうだ。

ところで、北アメリカの場合、銃弾や天然痘付き毛布などで先住民は次々に殺された。『ウーンデッド・二ーの虐殺』のあった1890年12月、先住民の人口は25万人程度だったとされているが、コロンブスがバハマ諸島に到達した頃、北アメリカには200万人から1800万人の先住民が住んでいたと言われている。先住民の人口推計値は学者によって大きく違うが、激減したことは間違いない。

ウーンデッド・二ーで女性や子供を含む約300名のアメリカ先住民が騎兵隊に殺害された頃、パレスチナでは人口が急増していた。19世紀半ばの住民は35万人だったが、世紀末には50万人近くに増えている。その後も人口は増え続け、1917年には75万人に達するが、このうちユダヤ系入植者が5万人を占めていた。この当時、パレスチナに移り住んだユダヤ人の多くは帝政ロシアによるポグロム(ユダヤ人虐殺)を逃れてきた人たちだったという。

第2次世界大戦でナチによる虐殺を経験したユダヤ人がパレスチナへ移住してくるが、それでも人口比率は相対的に高くなかった。1947年4月にUNSCOP(パレスチナに関する国連特別委員会)が設置されるが、その翌年の統計でもパレスチナ人が約140万人だったのに対し、ユダヤ人は60万人にすぎなかったのだ。

こうした状況下でユダヤ人国家を建設することは難しい。人口比率を逆転させる必要があるわけだ。そして1948年4月にハガナ(シオニストの軍事組織)はパレスチナ占領を目指す『ダーレット作戦』を発動、第1次中東戦争に発展した。エルサレム近郊の村、デイル・ヤーシーンで子供を含む254名のパレスチナ人がシオニストの虐殺されたのは1948年4月上旬のことである。その翌月、イスラエルの建国が宣言されるが、その一方でパレスチナ人の多くは戦火を逃れて難民となり、新国家『イスラエル」に留まったのは11万人強にすぎなかった。

欧米の一部エリートは大戦中、ナチと緊密な関係にあった。こうした情報をイスラエルは有効に利用したという。例えば、フランスやアメリカが同国の核兵器開発に協力した理由はこの辺にあると言われている。こうした関係に変化が見られたのは1967年のこと。この年の6月にイスラエルはアラブ諸国に対して奇襲攻撃を仕掛けて6日間で勝利、ヨルダン川西岸とガザ地区を占領したのだが、これ以降、フランスとの関係が悪化したとされている。

この戦いで注目されたのがファタハ。アラブ諸国の政府が腑甲斐無かったのに対し、ファタハは果敢に抵抗、アラブ民衆から支持されるようになったのだ。ファタハのスポークスマンだったのがヤセル・アラファトである。

1982年のイスラエルによるレバノン侵攻、そしてサブラとシャティーラの虐殺も同国とヨーロッパとの関係を大きく変えた。それまで親イスラエルだったイギリスの労働党がパレスチナ寄りに軌道修正したのである。こうした流れに逆らうようにして登場したのがトニー・ブレアーたちを中心とする『ニュー・レイバー(新労働党)』である。ブレアーの資金源がイスラエル系の富豪だという話は前に書いた通り。

ブレアーと並び、イスラエルと親しいヨーロッパの政治家がイタリアのシルビオ・ベルルスコーニ首相。汚職事件で追及されている人物だ。今年6月上旬、中東を訪問した同首相はイスラエルのアリエル・シャロン首相と会談、両者の友好関係を内外に示す一方、PLOのアラファト議長とは会おうとしなかった。7月1日からイタリアがEUの議長国となることを睨んでのデモンストレーションだったのかもしれない。イラク問題で対立しているEUを揺さぶりたいアメリカやイスラエルとしては、彼に期待するところは大きいだろう。

イスラエル政府がパレスチナ人を対等の交渉相手として扱うことは今後もないと思われるが、その一方で世界的に同国が孤立しつつあることも間違いない。欧米に住むラビ(ユダヤ教の宗教的指導者)の中には、公然と『反シオニズム』を掲げる人も出てきている。イスラエルの核兵器開発を告発した元技術職員が現在、ノーベル平和賞の候補者になっているらしいが、これはイスラエルが置かれている立場を象徴しているのかもしれない。イスラエルが保有する大量破壊兵器(数百発の核弾頭や生物化学兵器)を番組で取り上げたBBCに対し、同国は絶縁状を叩き付けたという。追いつめられたイスラエルがその大量破壊兵器を使う・・・こうした事態をどのように避けるかを考えておく必要もあるだろう。

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第2次世界大戦後、アメリカには要人暗殺やクーデターを一手に引き受ける極秘チームが存在した。OPCである。1950年10月にCIAの中に潜り込むが、その後も破壊活動、秘密工作をOPC人脈は続けた。英国のある学者に言わせると、CIAはこうした人脈が隠れ蓑に使ってきたにすぎない。この特別レポートを読まずにアメリカの戦後史を語ることはできない。

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