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タイトル:非公式情報32号  2002/11/16


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イラクの「大量破壊兵器」をめぐる悲喜劇
By STRANGELOVE

【フランス、アメリカ、イギリス】
 イラクに対し、国連安全保障会議は8日、「大量破壊兵器」の査察と廃棄を求める決議を採択、13日にイラク政府はこの決議を受け入れると表明した。この決議はアメリカとイギリスによる武力攻撃に歯止めをかける内容になっているとフランス、ロシア、中国が判断しているが、日本のマスメディアは「アメリカ政府高官」の発言として、国連決議は「米大統領の手を縛るものではない」と盛んに報道している。
 ところで、イラクに「大量破壊兵器」、要するに核兵器や生物化学兵器を持ち込んだのはフランス、アメリカ、そしてイギリスである。アメリカのジョージ・W・ブッシュ大統領がイラクのサダム・フセイン大統領を罵り、日米のマスメディアがイラクの脅威を宣伝している姿を見ていると、背筋が寒くなる前に、哀れみさえ感じてしまう。

【イラクの核兵器開発】
 イラクが原子炉の開発に興味を持ち始めたのは1960年代のこと。その頃、イラクはソ連と緊密な関係にあったが、核技術の提供には慎重な姿勢を崩さなかった。1968年のクーデターで実権を握ったフセインたちも核兵器に魅力を感じる。
 1975年にソ連から核技術の移転を拒否する通告を受ける2年前、フセインたちは核研究センターの提供を受けることでフランスと合意している。フランスは1950年代から1960年代にかけてイスラエルの核兵器開発に協力していた国だが、1967年に両国の協力関係は壊れていたのだ。
 ちなみに、アメリカの情報機関は1958年にイスラエルの核開発に気づいていた。偵察機U2がネゲブ砂漠のディモナ近くで核施設と思われる建造物を撮影、CIA画像情報本部の本部長は大統領に対して詳細な調査を進言するものの、ホワイトハウスは動かなかった。
 1960年代に入ると、AEC(アメリカ原子力委員会)は核物質がアメリカからイスラエルに密輸されている事実に気づく。が、やはり情報機関も捜査機関も動かなかった。現在、イスラエルは数百発の原爆のほか、水爆も保有していると言われているが、アメリカ政府は問題にしていない。

【イスラエルに爆破された原子炉】
 さて、イラクはフランスから研究所レベルの原子炉オシリスと縮小モデルのイシスを14億5000万フランで購入することになった。完成した原子炉を1979年4月、イスラエルは爆破を試みるものの、完全に破壊することには失敗した。
 そこで実行されたのが1981年6月のF-15とF-16、24機による攻撃だ。イスラエル所有のボーイング707の真上を戦闘機は編隊を組んで飛行、民間航空機が1機だけ飛んでいるように装ってイラク領空に侵入している。この攻撃でイラクの原子炉は完全に破壊されてしまった。

【バビロン・プロジェクト】
 1983年になると、別の核開発計画がイラクで浮上する。核弾頭を発射できるという「スーパーガン」の開発がスタートするのである。「バビロン・プロジェクト」だ。
 スーパーガンを開発したのはカナダ人の科学者、ジェラルド・ブル。マーガレット・サッチャー元イギリス首相の息子、マイク・サッチャーの仲介でイラクはブルを知った。
 この計画は1990年3月、突然に終わる。ブルがブリュッセルのアパートで射殺されたのだ。後ろから首筋に2発、さらに3発以上が撃ち込まれていたという。プロの仕事だった。
 また、イラクが生物化学兵器に興味を持ったのも1970年代半ばのこと。1974年11月に細菌研究所を建設するため、パリのメリウス研究所と契約したのが始まりだと言われている。核や生物化学兵器の開発で中心的な役割を果たしていたのがマトリックス・チャーチルというイラクの会社だ。

【イラクゲート事件】
 アメリカもイラクとは関係が深く、後にイラクゲート事件として問題になった。チリ経由でイラクへクラスター爆弾を含む武器や兵器をイラクへ売却していたのである。さらに、西ナイル・ウイルスやペスト、デング熱などの病原体をフセイン政府に渡していたことが最近、明らかになっている。
 1986年頃になるとイスラエルはチリ経由のイラクに対する武器輸出を懸念、イスラエルのイツァク・シャミール首相はロバート・ゲーツCIA副長官(当時)に対してこの問題を議会に持ち込むと脅したという。
 この問題を討議するため、1988年8月にサンチアゴで秘密会議が開かれた。会議の席上、アメリカのイラクに対する武器輸出チャンネルを維持するとゲーツは発言したというが、米国側には困った問題があった。1988年は大統領選挙の年で、イスラエルと喧嘩するわけにはいかない事情があったのだ。そこで、ジョージ・H・W・ブッシュ副大統領(パパ・ブッシュ)のオフィスからゲーツに対し、「選挙が終わるまでイラクに武器を売るな」とする命令があったという。
 イラクの「大量破壊兵器」の開発にはフランスやイギリスだけでなく、アメリカも深く関与してきた。その一方、イラクの軍事力増強を最も嫌っているイスラエルは世界有数の核兵器保有国であり、国連の決議を無視している国であり、またパレスチナ難民の虐殺を続けている国でもある。

---| OPC:米国の極秘テロ組織 |-------------------------------
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【内容】
第2次世界大戦後、アメリカには要人暗殺やクーデターを一手に引き受ける極秘チームが存在した。OPCである。1950年10月にCIAの中に潜り込むが、その後も破壊活動、秘密工作をOPC人脈は続けた。英国のある学者に言わせると、CIAはこうした人脈が隠れ蓑に使ってきたにすぎない。この特別レポートを読まずにアメリカの戦後史を語ることはできない。

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