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タイトル:非公式情報24号  2002/10/21


---| OPC:米国の極秘テロ組織 |-------------------------------
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特別レポート「OPC:米国の極秘テロ組織」(600円)の販売が開始されました。まもなく、カード決裁が始まります。

第2次世界大戦後、アメリカには要人暗殺やクーデターを一手に引き受ける極秘チームが存在した。OPCである。1950年10月にCIAの中に潜り込むが、その後も破壊活動、秘密工作をOPC人脈は続けた。英国のある学者に言わせると、CIAはこうした人脈が隠れ蓑に使ってきたにすぎない。この特別レポートを読まずにアメリカの戦後史を語ることはできない。

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バリ島の爆弾テロ
By Strangelove

 10月20日付けのサンデー・タイムズは、バリ島の爆弾テロにオサマ・ビン・ラディンが関係していると報じた。3トンの爆発物(プラスチック爆弾、C4)をインドネシア軍から購入するため、ビン・ラディンが使っている偽名のひとつ「シェイク・アブ・アドゥーラ・エミラティ」名義の口座から7万4000ドルが支払われたというのだ。
 この情報をCIAに告白したのはオサマ・ビン・ラディンの東南アジアにおける代理人、オマル・ファルク。6月にインドネシアで逮捕され、CIAに引き渡されていた。
 インドネシアのイスラム勢力へはサウジアラビアの慈善団体、アル・ハラマインからも多額の資金が提供されてきたとアメリカ側は批判、これに対してアル・ハラマイン側はイスラム系軍事組織との関係を否定している。

 ところで、37年前の1965年もインドネシアは大揺れだった。「共産主義者のクーデター未遂」を口実にして9月に始まったスカルノ政権打倒作戦で、30万人とも100万人とも言われる左翼、あるいは左翼と疑われたインドネシア人が殺害されている。この作戦の中核にいたのはアメリカの有力大学から帰国した若者、通称「バークレー・ボーイズ」だが、イスラム教の過激派もCIAと手を組んでいた。

 バークレー・ボーイズをアメリカに呼び、教育したフォード財団がCIAと深い関係にあることも有名な話。アメリカの極秘テロ機関を統轄していたアレン・ダレスの側近だったリチャード・ビッセルが1952年から同財団の理事長になったこともCIAと財団との関係を示す状況証拠のひとつだ。
 スカルノ体制を崩壊させるための秘密工作がスタートしたのは1950年代半ばだが、その当時、CIAで作戦担当副長官だったのはフランク・ウィズナー。1958年、精神を病んだウィズナーの後任になったのがビッセルである。
 CIAの作戦本部は「汚い仕事」、つまり破壊工作、見方を変えればテロ活動を担当する部署で、その前身はアレン・ダレスを中心にして編成された極秘テロ組織OPC。ウィズナーはOPCの初代局長だ。

 さて、昨年11月頃からフランス、そして今年に入ってからはアメリカでもアル・カイダとサウジアラビアとの関係を指摘する声が高まってきたが、その一方でCIAの話は伏せられる傾向にある。奇妙な話だ。
 例えば、昨年9月11日のテロを実行したとされる中東出身者の多くはサウジアラビアのジェッダにあるアメリカ領事館でビザを取得しているが、ここのビザ発給業務を管理していたのはCIAだったことが知られている。大体オサマ・ビン・ラディンの軍事組織、アル・カイダを1980年代に作り上げたのもCIAだったはずだ。

 アフガニスタンではソ連と戦うため、イスラム系の狂信的グループをCIAは組織、破壊活動のイロハを訓練し、武器を供給し、資金を提供してきた。アメリカの情報関係者が「国際テロリズム」の黒幕をソ連だと宣伝していた1970年代半ばから1980年代にかけて、イスラムの武装勢力は「自由の戦士」と呼ばれていたことも広く知られている。
 ところが、最近、アメリカ政府は自分たちが作り上げたフランケンシュタイン、「イスラム原理主義グループ」をテロ組織だと非難している。国際テロリズムの黒幕はソ連だという主張はどうなったのだろうか?

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