メルマガ:非公式情報
タイトル:非公式情報18号  2002/10/01


イラクはテロを実行したのか?
By Strangelove

 米軍のイラク攻撃が近いと伝えられる。アメリカのブッシュ政権はイラク攻撃に向かって暴走、イギリスのブレア政権が追随し、その後ろを日本の小泉政権が怖ず怖ず付き従う構図だ。そうした中、ヨーロッパでは十万人規模の反戦デモが行われている。
 さて、イラクはアル・カイダを支援している証拠、あるいは「大量破壊兵器」を開発している証拠を米英日同盟は未だに提示できていないが、その一方で2001年夏からイラクによる対米テロを警告していたとされる人物もいる。
 この人物とはONI(米海軍情報部)のエージェントだったデルマート・ブリーランド。情報機関員だったとする経歴を否定するジャーナリストもいるが、ONIに所属していたとする複数の証言があることから、一応、この経歴は信じられそうだ。
 ロシアから帰国して間もないブリーランドがカナダのトロントで逮捕されたのは2000年12月のこと。獄中から彼は再三、対米テロ計画の存在を警告、ターゲット候補としてシカゴのシアーズ・タワー、世界貿易センター、ホワイト・ハウス、ペンタゴンをあげていた。
 ブリーランドによると、モスクワに滞在中に見たイラクからロシアに宛てた手紙にテロ計画の詳細が書かれ、こにはサダム・フセイン大統領の息子、ウダイ・フセインのサインがあったという。
 なぜ、そのような手紙がモスクワにあり、その手紙をONIのエージェントが読めたのかは大きな謎である。ただ、この話が事実ならば、ロシア政府はアメリカ政府にテロを警告したということになるだろう。
 後にブリーランドが公開した手紙のコピーには、2001年9月11日に最初の攻撃が始まり、スリーマイル原発やペンタゴンが目標になると書かれていた。
 デルマート・ブリーランドの裁判で、彼の母親、ジェーン・ウッドバリーは息子から2001年8月に航空機、特にニューヨーク行きには乗るなと何度も警告され、9月11日の直後にはシークレット・サービスのエージェントが家に来たと証言している。
 そして今年8月13日、ブリーランド名の死亡診断書がインターネット上に掲示され、9月10日に彼は忽然と姿を消した。
 もし、イラクがテロの実行者だとするならば、米軍のアフガニスタン攻撃はアメリカ流の根拠もなくしてしまう。「犯人を間違えました」ではすまない問題だ。
 ただ、この事件には未解明のミステリーが多く、デルマート・ブリーランドの話を鵜呑みにするのは危険だろう。

ブラウザの閉じるボタンで閉じてください。