メルマガ:非公式情報
タイトル:非公式情報15号  2002/09/20


拉致事件と情報機関
By Strangelove

 9月17日、小泉純一郎首相は北朝鮮を日帰りで訪問した。植民地支配、強制連行、ミサイル開発、核開発など多くの未解決問題が両国の間には存在しているが、日本のマスメディアは拉致事件を集中的に伝えている。
 北朝鮮側が提出した安否リストには、5名が生存、8名が死亡、1名が該当なしと記載されていた。少なくとも13名の拉致を認めたということになる。が、拉致の目的は何だったのかという疑問は残ったままだ。
 語学教師獲得という説明は論外として、秘密工作の現場を目撃されたので拉致したというシナリオもいただけない。例えば、海岸線で目撃されたのならば、海上で殺害し、海中に沈めてしまうのが「グローバル・スタンダード」だろう。口封じが目的ならば、生かしたまま本国に連れ帰るなど考えられない。
 例えば、1949年8月17日、東北本線の松川駅と金谷川駅との間で列車が転覆、3名が死亡するという事件があった。形式上、この事件の真相は不明ということになっているが、ジャック・キャノン中佐を中心に編成されたZユニット、いわゆるキャノン機関が真犯人だということは公然の秘密である。
 松川事件には元特務機関員で、当時アメリカの情報機関で活動していた日本人が参加していた。その日本人の証言によると、移動中の工作部隊がひとりの男に目撃されてしまった。
 その男、斎藤金作は田圃ひとつをはさんだあぜ道に立っていたのだ。その場で殺害することはできない状況だったため、尾行して家を突き止めた。その後、斎藤は警察から呼び出されたという。
 身の危険を感じた斎藤は横浜へ逃げて輪タク屋を始めるが、翌年の1月12日、アメリカ兵を乗せて走る姿が目撃されたのを最後に行方不明となる。斎藤金作の死体が横浜の堀で発見されたのは2月22日のことだった。一応、変死ということになっているが、松川事件に参加した日本人によると、殺害されたのである。
 この事件に詳しい人ならば、この話に首を傾げるかもしれない。この事件で起訴されていた共産党員を無罪にする証言をした「破蔵師」、要するに土蔵破りは殺されなかったからである。
 事件から10年後、泥酔した男が松川事件の真犯人は別にいると友人に話した。この男、村上芳雄は事件当日、平間高司とともに土蔵破りをするために金谷川小学校近くの部落を物色していた。
 適当な獲物を見つけられなかったふたりは別れたのだが、その直後に事件の真犯人と村上は遭遇、「お晩です」と挨拶すると、「今晩は」と答えたというのだ。これに対し、人の気配を感じた平間は雑木林に隠れて真犯人を目撃したと証言している。
 しかし、松川事件に参加した元特務機関員によると、「お晩です」などと挨拶してきた人間はいなかったという。いたなら、その場で殺しているとのこと。その通りだろう。村上は自分自身の体験ではなく、平間から聞いただけではなかったのか?
 イラン・コントラ事件でも殺害されたり、変死した関係者は少なくない。情報機関の世界で殺人は珍しくない。「自由と民主主義の国」だというアメリカの情報機関の粗暴さは有名な話だ。彼らが何をしてきたかに興味がある人は次のサイトまでどうぞ。

---| OPC:アメリカの極秘テロ組織  |---------------------------------
 http://www.mailux.com/mm_g_dsp.php?no=1

ブラウザの閉じるボタンで閉じてください。