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タイトル:非公式情報8号  2002/08/16


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アメリカン・ファシズム
By Strangelove

 前月の企業倒産件数は、7月として戦後最悪を記録した。小泉某とその経済閣僚たちが信奉している自由放任主義は行き詰まっている。1920年代後半から1930年代にかけての経済状況と似ていると感じている人も少なくない。
 では、その当時、資本主義経済の本山とも言うべきウォール街では何が起こっていたのだろうか?
 バブル経済が崩壊して株価が急落したのが1929年。この年の3月4日、米国大統領に就任したハーバート・フーバーの経済政策は大企業、大金持ち救済が中心で、一般国民の不満は急速に膨らんでニューディーラーのフランクリン・ルーズベルトが1932年の大統領選で当選した。ルーズベルトはエスタブリッシュメント出身(親族には情報関係者も少なくない)なのだが、1921年にポリオを患ってから弱者にも目を向けるようになったと言われている。
 この当時、米国の富豪たちは金本位制を維持しようと必死だった。彼らの支配下にあった日本では浜口内閣が金解禁、つまり金本位制の復帰を目指していた。国際間の資産移動を容易にしようというわけだが、その結果が資金の国外への流出。景気は最悪の状態になり、農村の疲弊は目にあまるものがあった。これが「226事件」を引き起こす一因になっている。
 米国では、ルーズベルト大統領の誕生にあわてた人々がいる。大統領就任式は3月4日、その約半月前の1933年2月15日にマイアミを訪れたルーズベルトは銃撃事件に巻き込まれた。銃撃犯のジュゼッペ・ザンガラには死刑判決が下り、1カ月後の3月20日には電気椅子に座らされている。
 その直後、1934年になるとウォール街ではファシズム政権の樹立を目指すクーデター計画が起動している。その中心にいたのがモルガン財閥。関東大震災から日本経済を支配していた連中である。要するに、浜口内閣の黒幕はファシストのスポンサーだった。
 この計画が表面化したのは、スメドラー・バトラー退役少将の告発があったから。同少将の証言は米国議会の公文書に記録されている。バトラーがウォール街の話の乗らなかったのは、現役時代の体験が影響している。大企業の利権を守るための活動にうんざりしていたのだ。
 蛇足ながらつけ加えると、1921年に創設された「CFR(外交問題評議会)」は当初、モルガン財閥の支配下にあったのだが、1930年代後半からはロックフェラー財閥の強い影響を受けている。
 戦後、ウォール街とファシストとの関係を追及しようと計画していたルーズベルト大統領は1945年4月12日、急死してしまう。その後、ニューディーラーはホワイトハウスから追い出された。ウォール街の日本支配が復活するのは1950年頃からである。この頃、レッド・パージ、マッカーシー旋風で反ファシズム陣営は追いつめられ、日本でも「逆コース」が始まった。

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