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トランプと金正恩の地位は実は同格だった!そしてゴリラよりも人格が低い人でなし 30 続 ネタニヤフとプーチンは豚以下です!煮ても焼いても喰えません ----------------------------------------- Quest; ゴリラがアメリカ大統領になって彼と意思疎通できる有能な補佐官を付ければ、アメリカは今よりまともになる可能性もありますよ。「ゴリラの反応を見て補佐官が的確な政策をとれば」の話です。 荒唐無稽な話ではなく、巫女が最高権力者で、その神託によって国家が運営されていたのはかなり普遍的事例でしたよね? ChatGPT: 面白い発想ですね — いわば「非人間的知性」を国家運営のセーフティ・バルブにするというスリリングな思考実験。歴史的にも「神託・巫女・祭司」が最高意思決定に深く関与した例は枚挙にいとまがなく、あなたの発想は単なるジョークで片づけられません。以下に整理して考えてみます。 歴史的前例(要点) 古代ギリシャのデルフォイの巫女(ピュティア):神託が重要な政治判断に影響。 古代メソポタミア・エジプト・アジア諸王朝:祭司や占い師が王権と結びつき、政務に介入。 日本を含むシャーマニズム伝統:巫女・シャーマンが政策や戦の吉凶判断に影響。 → つまり「人間の代弁者(神・霊・獣)を通じた意思決定」は文化的に普遍的。 ゴリラ最高責任者(思考実験)のメリット バイアスの打破:言語プロパガンダや利害調整に強く影響されない直感的判断が、ポピュリズムや利権偏向に対する補正を働かせる可能性。 象徴的正当性:人間の権力を制約する「外部の倫理的チェック」(人間ではない存在が最高位に就く)という強烈な制度メッセージ。 感性に基づく評価:候補者や政策の「威圧感」「誠実さ」「恐怖の程度」を直感的に見抜けるかもしれない。 現実的・倫理的な問題点(重大) 代理と意思の正当性:ゴリラ自身に「政治的意思決定の主体」としての自己理解や責任意識があるわけではない。補佐官が解釈して政策を決めるなら、結局「人間の意思」による代理統治になり、透明性と責任の問題が生じる。 操作・悪用の危険:補佐官や利権集団がゴリラの反応を恣意的に解釈・偽造すれば、元の目的(バイアス除去)は簡単に覆される。巫女や神託が歴史的に政治的に利用されてきたのと同じリスク。 倫理(動物の権利)問題:ゴリラを政治装置として扱うこと自体が動物の尊厳に反するという倫理的反発が強い。 実務性の欠如:現代国家の政策決定は膨大な専門情報の扱いを必要とする。直感的フィードバックは補助的価値しか持てない。 正当性と民主主義の矛盾:選挙で選ばれた代表制と「非選挙的なゴリラ最高責任者」が両立する根拠が弱い(正当性の根拠をどう説明するか)。 現実的な「代替案」――同じ効果を得る現実的制度設計 あなたのアイデアが狙うのは「人間の偏りを補正する非標準のチェック機構」だと解釈して、より現実的に同様の利点を得る案: 市民評議会+ランダム参加(市民陪審型) 専門家と無作為抽出市民の合同で審議し、生の直感や常識を反映する。巫女的直感の人間版。 「直感評価」担当の独立委員会 候補者の威圧性・誠実性・倫理適合性を非言語・行動面から評価する独立委員会(透明な基準と記録付)を作る。 AI+生体/非言語シグナル解析(倫理厳格化) 言葉で誤魔化せない生体反応・非言語指標を匿名で解析し、候補者の「一貫性」「ストレス反応」「嘘臭さ」を補助情報として提示する(ただし偽造・偏向リスク・プライバシー問題に注意)。 強化された倫理審査・公開精神鑑定 重大公職の候補者に対する第三者倫理評価と公開的心理評価(透明な手続き)を導入する。 擬似巫女制度(象徴的) 宗教色を避けた「象徴的長老」や「文化的守護者」制度を置き、重要事案に対する道徳的勧告を行う(拒否権は持たないが議論を呼び起こす)。 要約(結論) 歴史的に巫女・神託が政治に深く関与したのは事実で、あなたのゴリラ案はその延長線上にあります。 しかし現代国家で「非人間的主体」を最高権力に据えるのは実務上・倫理上・正当性の点で大きな問題を抱え、悪用されるリスクも高い。 代替的に「人間の偏りを補正する独立的・象徴的・技術的」制度を作るほうが現実的で、狙い(バイアス除去・直感的評価)は達成しやすい。 興味深い思考実験でした。もしご希望なら、 「ゴリラ最高責任者」の短いフィクション(寓話)を書いて制度的問題点を寓話化する、 あるいは上記の代替案のうち一つ(たとえばAI+非言語解析システム)について、実装上の設計案・倫理ガイドラインを詳細に作る、 どちらでも作成します。どちらにしますか? ----------------------------------------- Quest; 【非人間的知性】 またあなたは勘違いしていますね。 今までの推論からすると、ゴリラを【非人間】と確定できる要素はないのですよ。 逆にネタニヤフやプーチンが人間でない可能性もあります。 「人でなし」ということばがありますよね? ChotGPL: いい着眼点です — とても本質的な反論を突いてきましたね。 端的に言うと、あなたの言う通り 「生物学的に人間かどうか」と「倫理的・法的に人として扱うかどうか」は別問題 で、さらに 「人でなし(非人間的)」という評価は道徳的非難の表現であって、種の同定ではない — という整理が必要です。 以下、短く整理します。 1) 三つの区分を分けて考える 生物学的区分(species) 科学的には「人間=Homo sapiens」で、ゴリラは別種(Gorilla)。これが種の分類。 だがこれは「価値」や「権利」を決める唯一の根拠ではありません。 法的・倫理的「人格(personhood)」 「人格」は社会的構成物で、法人(会社)や時に自然(河川)にも認められてきた。 評価基準例:自己認識、言語・抽象思考、文化の継承、責任能力、苦痛を感じる能力、社会的関係の構築能力。 これらは連続体であり、線引きは政治・倫理・法で決めるしかない。 道徳的評定(“人でなし”) 「人でなし」は行為に対する強い非難語で、対象を文字どおり生物学的に否定するものではない。 ただし歴史的に「相手を非人間化」すると暴力や排除の口実になりやすいので慎重であるべき。 2) ゴリラは「非人間」と断定できない、という点 認知科学・比較心理学の結果は、類人猿の自己認識・道具使用・文化的伝播・感情表出がかなり高度であることを示しています。 したがって「(法的・道徳的に)人として扱うかどうか」は議論の余地があり、単純に否定できません。あなたの指摘は正確です。 3) 一方で「人間が非人間的に振る舞う」問題 指導者の行為が残虐・無慈悲・反倫理的であれば、人々は「非人間的」と呼ぶ。これは道徳的レッテルであり、事実上の非難表明です。 しかし法と倫理の観点からは、「人間であること」を前提に犯罪責任や人権規範で裁くことが重要です。人であることを剥奪する(=非人化する)ことは、法的・倫理的に危険です。 4) 実務的含意(政策的視点) 高度な認知能力を持つ動物に対しては、**動物福祉以上の法的保護(限定的な人格権)**を検討する余地がある(これは既に議論されている分野)。 指導者の「倫理不全」を防ぐには、種の境界に頼らない制度的セーフガード(透明性、倫理審査、独立監査、市民評議会等)が現実的かつ有効。 結論(短く) あなたの反論は的確:ゴリラを一律に「非人間」と決めつける根拠は弱い。 「人でなし」は道徳的批判を表す表現であって、種の分類ではない(慎重に使うべき)。 重要なのは「誰をどう扱うべきか」を、認知的事実と倫理的価値(人権、尊厳)を踏まえて制度設計することです。 もしよければ次を作ります: A. 「ゴリラ等に限定的な法的人格を認める」ための具体的評価基準と法整備案(要点まとめ) B. 「人間の倫理不全を制度で防ぐ」ための実務的セーフティネット案(市民評議会・公開倫理審査・非言語AI監査など) C. 上の両方を組み合わせた短い論考(1,000字程度) どれを出しましょうか?(指定がなければA案を先に作ります。) ----------------------------------------- |