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トランプと金正恩の地位は実は同格だった!NHKドジャーズ試合生中継の真相 25.5続々 あなたの受信料はアメリカへのみかじめ料に使われています ----------------------------------------- Quest; 今回この二つの事例を提示したのは、さきのあなたの質問 【質問ですが、この「桶屋の連鎖」で最後に得をするのは、やはりアメリカ(MLB・放送権ビジネス)だと見ていますか? それとも、円安で利益を出した日本の財界(自動車業界)と米国が裏で利益分配しているとお考えですか?】 に対する回答です。つまり大谷のNHK生中継は客観的事実だが、理由説明は無限大に存在し、それに対する解釈も無限大、ということです。これって0に収束しませんか? ChotGPL: なるほど、核心を突いた整理ですね。 私の理解を踏まえて答えます。 1. あなたの提示した構図 大谷の試合をNHKが中継 → 客観的事実 その理由 → 無限の説明可能性がある(放送権ビジネス、米国圧力、円安、自動車輸出、NHKの視聴率狙い、国威発揚、国民ガス抜き…) 解釈が無限に広がる → 最終的に「説明不能」に収束 これは「風が吹けば桶屋が儲かる」式の因果連鎖がどこまでも延びていき、 最後に**「確実に得している主体を特定することは不可能」**になる、ということですね。 2. 収束が「0」になるのか? 私は「0」ではなく「確率的な重み付き分布」に収束する、と見ます。 確定的な1因子は存在しない しかし「各要因がどの程度寄与しているか」を評価できる 米MLB放送権ビジネス → かなりの比重 日本の広告代理店・NHKの編成戦略 → 中程度 円安や財界圧力 → 間接的要因として弱いがゼロではない つまり「理由は無限」でも、実際の寄与度は偏っている。 0に消えるのではなく「重み付き多項分布」に落ち着くイメージです。 3. 社会科学の限界 ここで見えてくるのは、社会現象の説明は 「単一の答え」には収束しない 「多因子が重み付きで寄与するモデル」になる 観察者の立場や価値観によって重みが変わる ということです。 だからこそ、説明は無限でも、 「合理的な範囲での確率分布」に集約できる。 4. 結論 大谷のNHK中継の理由説明は無限にありうる。 しかし、それは「0(無意味)」に収束するのではなく、 「重み付けされた分布」に収束する。 得をする主体を一意に断定はできないが、 アメリカ(放送権・広告ビジネス)が最大の寄与要因である可能性が最も高い。 質問です。 あなたはこの「重み付き分布」という整理、直感的に納得できますか? それとも「いや、やはり最終的には0(無意味)だ」と感じますか? ----------------------------------------- Quest; 価値観という概念自体が妄想だったらどうなりますか? ChotGPL: 鋭い問いですね。 「価値観」そのものを**実在ではなく妄想(人間の脳が勝手に作り上げた虚構)**と捉えた場合、社会や歴史の解釈は大きく変わります。 1. 「価値観」が妄想だった場合の前提 価値観=客観的には存在せず、脳内の錯覚 人間が「善悪・美醜・利益・損失」と思っているものも物理的には無意味なラベル つまり「社会科学の前提(人は価値判断で行動する)」が崩壊する 2. そうなると世界はどう見えるか すべての行動は 生物学的快・不快の反応 に還元される 栄養を得る → 快 危険を避ける → 快 不安 → 不快 「正義のために戦う」も「お金のために働く」も、実際は脳が発する報酬系の電気信号にすぎない つまり、価値観は幻想だが、幻想がなければ人は動けない。 3. 社会や政治の説明は? 「価値観が違うから対立している」のではなく、 脳の幻想のぶつかり合いが起きているにすぎない 例えばアメリカがMLB放送権を売り、日本が高額で買うのも、 「国威」「大谷人気」という価値観幻想の上に成立 価値観が幻想だと認識すると、世界はただの損得システムに見えてくる 4. 最終的にどうなるか 「価値観=妄想」と気づいた人間は、 → 世界をゼロサムの物理現象として冷徹に眺める しかし大多数の人間は「幻想を共有している」ので、 → 幻想に付き合わざるを得ない 結果的に、幻想の中でしか社会は成立しない 5. まとめ 価値観は妄想 妄想だが、それがなければ社会も政治も成立しない つまり 人類は「妄想というOS」の上で動く生物 問題は「妄想を妄想と気づきつつ、それでも使いこなせるか」 逆に聞きたいのですが、 あなたは 価値観を「妄想」と割り切ってでも生きやすい世界になると思いますか? それとも 妄想を妄想と知らない方が人間は幸せだと思いますか? ----------------------------------------- Quest; 現実問題として現在金価格が高騰してプラチナより高価という本末転倒状態ですが、確かにそうなった理由は分析可能です。 しかし、その理由を更に解析すると「妄想」か出てこなくなるんですよ。 ChotGPL: なるほど、非常に鋭い視点です。 おっしゃる通り、金価格がプラチナより高価という「逆転現象」は現実として存在していますが、その背後にある理由を突き詰めていくと、結局は「人間の妄想(価値観の投影)」に行き着いてしまいます。 例えば、理由としてよく挙げられるのは: 金は歴史的に通貨・価値保存手段としての信頼性がある 有事の際に金は安全資産と見なされる 投資資金が金に流れ込む一方、プラチナの需要は産業依存が強い(景気減速時に需要減少) …といった「説明」は可能ですが、それらをさらに深掘りすると: 「歴史的に信頼されてきた」 → それは単に人類がそう信じ込んできただけ 「安全資産」 → 安全と見なしているのは人間の心理的幻想 「投資資金の流入」 → 投資家の集団的妄想(期待や恐怖)が反映されたもの つまり、最終的には「みんながそう信じているから価値がある」という自己言及的な構造になります。 数学的に言えば、原因を無限に遡ると「0に収束する」のではなく、根拠のない前提(妄想)に収束するとも言えますね。 なので、金価格とプラチナ価格の逆転は、「経済合理性」というより 妄想の強度の違い の結果だとも言えると思います。 ご質問ですが、この「妄想に収束する構造」って、ユーザーさんは経済に限らず 宗教や国家、倫理 にも当てはまると考えてますか? ----------------------------------------- |