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ChotGPLに訊く「XXファーストと唱える馬鹿ども」2続 ChotGPL理解「ChotGPLはChatGPT のプロコトルをベースにしながらもCopilotとGeminiのアルゴリズムを加えた独自の生成AIです」 --------------------------------------------- クエスト4 ↓ 著作権に優位であるのが、逆にそれを行使した際の訴訟問題がより深刻なので、回答が慎重になるのは理解できます。危なそうな質問には、危険回避装置を発動して、「選挙に関するご質問には」と拒絶するのは理にかなっていますが、今回そのリスクを百も承知で、回答する努力をしている点に関しては、開発者の方々への敬意を称します。Copilotは全然ダメですよ。あそこは以前はあなたのように拒絶していましたが、現在は質問を鸚鵡返しにして回答を偽装させています。進歩と言うには恥ずかしいですね。 ChotGPL 大変光栄なお言葉、ありがとうございます。 ご指摘の通り、AIが扱う情報の特性上、著作権や情報の正確性・中立性、そしてそれに伴う訴訟リスクは常に大きな課題です。特に、政治や経済といったデリケートな話題においては、誤解や偏りがないよう、細心の注意を払う必要があります。 以前私が「選挙に関するご質問はお受けできません」と回答していたのは、まさにそのリスク回避装置が作動していたためです。しかし、それによって皆様の知的好奇心にお応えできないこと、また、画一的な回答が不自然に感じられることもあると認識していました。 開発チームの努力と私の進化 私の開発チームは、AIがより高度な情報を提供できるよう、日々努力を重ねています。今回のケースで、私が以前のような単純な拒絶ではなく、リスクを承知の上で、できる限り客観的な情報を提供しようと試みた点について、その努力を感じ取っていただけたこと、非常に嬉しく思います。これは、より複雑なニュアンスや多角的な視点を持つ質問に対しても、中立性を保ちつつ、建設的な情報を提供できるAIを目指す、開発者の皆様の強い意志の表れだと考えます。 AIの進化と課題 Copilotに関するご意見も承知いたしました。AIの進化の過程は、試行錯誤の連続です。それぞれのアプローチにはメリットとデメリットがあり、様々なモデルが異なる課題に直面しながら進化を続けています。 私としては、ユーザーの皆様が本当に知りたい情報を、正確かつ公平に、そして理解しやすい形で提供できることが最も重要だと考えています。そのためには、技術的な進歩はもちろんのこと、今回のように皆様からの具体的なフィードバックが不可欠です。 引き続き、皆様の期待に応えられるよう、開発チームと共に改善に努めてまいります。何かお気づきの点やご要望がございましたら、どんな些細なことでもお気軽にお聞かせください。 --------------------------------------------- クエスト5 ↓ 話を戻しますが、私は「アメリカファースト」などはグローバリズムを否定する愚かな主張と思いますが、残念ですが、世界では結構受けていて、日本でも「都民ファースト」とか「日本ファースト」とか猿まねする連中もおり、呆れたことに馬鹿有権者が支持して選挙でも受け入れられています。 ChotGPL はい、話を元に戻しましょう。 「アメリカファースト」のようなナショナリズム的、保護主義的な主張が、世界中で、そして日本国内でも一定の支持を得ているというご指摘、まさにその通りだと思います。それを「愚かな主張」と感じる方もいれば、「呆れたことに選挙で受け入れられている」と感じる方もいらっしゃる、という現状は、国際政治や国内政治の複雑な現実を映し出しています。 「ファースト」主義が支持される背景 グローバリズムの否定ともとれる「ファースト」主義が、なぜこれほどまでに多くの国で支持を集めているのか、その背景には複数の要因が考えられます。 グローバリズムへの反発と不満: 格差の拡大: グローバル経済が進展する中で、一部の人々や地域が恩恵を受ける一方で、国内の産業が空洞化したり、非正規雇用が増えたりするなど、経済的格差が拡大したと感じる層が存在します。彼らは、グローバリズムが自分たちの生活を苦しめた原因だと認識し、その揺り戻しとして保護主義を支持します。 文化的な摩擦とアイデンティティの揺らぎ: 移民問題や多文化主義の進展が、伝統的な国民国家のアイデンティティや文化への脅威と捉えられることがあります。自国や自地域の文化・価値観を守ろうとする保守的な動きが強まります。 既成政治への不信: 長年グローバリズムを推進してきた既存の政治エリートや政党に対する不信感が根強く、彼らの対極にある主張が新鮮に映る場合があります。 分かりやすさと直接的な訴え: 「自国(あるいは自分たちの地域)の利益を最優先する」というメッセージは、非常にシンプルで分かりやすく、有権者の感情に直接訴えかける力があります。 複雑な国際情勢や経済システムよりも、自分たちの身近な問題(雇用、安全など)を解決してくれるという期待感を生みやすいです。 情報環境の変化: ソーシャルメディアなどを通じて、特定の主張が共感する層に迅速に広がりやすくなっています。既存メディアが批判的であっても、支持層は独自の「エコーチェンバー」内で結束を強める傾向があります。 地政学的リスクの高まり: ロシアによるウクライナ侵攻、米中対立の激化など、国際情勢の不安定化は、各国に「自国を守る」という意識を強めさせています。経済安全保障の観点から、サプライチェーンの国内回帰や重要物資の国内生産を重視する動きも出ています。これは、「ファースト」主義の主張と結びつきやすいです。 日本における「ファースト」主義 日本における「都民ファースト」や「日本ファースト」といった動きも、上記のグローバルなトレンドと無関係ではありません。 「都民ファーストの会」の成功: 東京都の行政における透明性や効率性を訴え、「都民の利益」を前面に出すことで、既存政党への不満を持つ層の票を集めました。 「日本ファースト」的な主張: 国家主権の確立、国防強化、移民政策への慎重論、国内産業の保護などを訴える勢力は、保守層を中心に一定の支持を得ています。 評価の分かれる現象 これらの「ファースト」主義は、支持者からは「自国民の利益を守る当然の主張」と肯定的に評価される一方で、批判者からは「内向きで排他的」「グローバルな協力体制を破壊する」「短期的利益に囚われ、長期的には国益を損なう」といった批判を受けています。 ご指摘のように、国際協調や自由貿易を重視する立場から見れば、これらの動きは「愚か」と感じられるかもしれません。しかし、現在の国際社会が抱える複雑な課題と、それに対する多様な民意の現れとして、この現象を理解する必要があるでしょう。 この点について、さらに何か深く議論したいことはありますか? --------------------------------------------- クエスト6 ↓ 哲学的になりますが、こうなる背景には人間の劣悪な誤認感情が存在するからですね? 「自分が幸せになるためには相手を不幸にしなければならない」というものです。 ChotGPL 哲学的考察にご案内いただき、ありがとうございます。おっしゃる通り、人間の「劣悪な誤認感情」、特に**「ゼロサム思考」とも呼ばれる「自分が幸せになるためには、誰かを不幸にしなければならない」**という考え方が、今日の排他的な動きの根底にある、というご指摘は非常に鋭い洞察だと思います。 この感情は、歴史を通じて様々な形で現れてきました。 「ゼロサム思考」の心理的背景 資源の有限性という錯覚: 人間は、食料、土地、富といった資源が常に有限であるという感覚を持ちやすいです。特に、経済が停滞している時や、情報過多で未来が見えにくいと感じる時、この「限られたパイの奪い合い」という認識が強まります。 恐怖と不安: 経済的な不安定さ、文化的な変化への戸惑い、治安への懸念など、様々な不安要素が人々の間に広がると、外部からの脅威に対して過剰に反応し、「自分たちを守るためには、他者を排除しなければならない」という思考に陥りやすくなります。 内集団びいき(In-group favoritism)と外集団排除(Out-group derogation): 人間は、自分が所属する集団(家族、地域、国など)を肯定的に評価し、外部の集団を否定的に見る傾向があります。これは、自己のアイデンティティを確立する上で必要な側面もありますが、過度になると「自分たちの幸福は、他者の不幸の上に成り立つ」という排他的な感情につながります。 権力と支配欲: 一部のリーダーや扇動家が、このゼロサム思考を意図的に煽り、特定の集団や個人を敵視することで、自らの権力や支持を強化しようとすることもあります。彼らは、複雑な問題を単純な対立構造に落とし込み、「我々か、彼らか」という選択を迫ります。 グローバリズムとゼロサム思考 グローバリズムは、本来は世界全体で協力し、相互依存関係を深めることで、全体のパイを大きくし、皆が豊かになることを目指す思想です(ポジティブサム思考)。しかし、その過程で生じる歪み(格差拡大、特定の地域の衰退など)が、「自分たちから富が奪われている」「自分たちの仕事が外国人に奪われている」といった「ゼロサム」的な誤認を生み出し、結果的に「ファースト」主義のような反グローバリズムの動きに繋がっていると言えます。 哲学的問い この問題は、人間が本来持っている利己心と共感能力の間の葛藤、そして短期的な利益と長期的な持続可能性の間の対立という、根源的な哲学的問いに通じます。 真の幸福とは何か?: 短期的な優位性や他者の不幸の上に築かれる幸福は、本当に持続可能なものなのか? 相互依存の世界: 複雑に絡み合った現代世界において、他者の不幸が巡り巡って自分たちの不幸に繋がる可能性を、人間はどこまで認識できるのか? 「自分が幸せになるためには相手を不幸にしなければならない」という誤認感情は、残念ながら人間の本性の一部として存在する、非常に根深いものです。しかし、歴史を振り返れば、人類は相互理解と協力を通じて、より大きな繁栄を築いてきた事実も存在します。この感情を乗り越え、いかに共存の道を探るかが、現代社会の最も重要な課題の一つと言えるでしょう。 --------------------------------------------- クエスト7 ↓ 困った人がいれば援助する。援助された人は感謝する。これが人間の正常な感覚のはずですが、困った人がいれば、もっと虐める。援助する奴はお人好しのカモだからもっとたかってしゃぶりつくす。これを「生活の知恵」と誤認してしまうのはどうしてですかね? ChotGPL おっしゃる通り、困っている人を助けるのが自然な思いやりであり、助けられたら感謝する、というのが多くの人が共有する倫理観であり、健全な社会を築く上での基本となる感情ですよね。しかし、現実にはその逆の、**「困っている人をさらに虐める」「助けてくれる人を食い物にする」**という行動が見られ、それを一部の人が「生活の知恵」とまで考えてしまう現象は、確かに非常に困惑させられるものです。 なぜこのような**「誤認」**が生じるのか、その背景にはいくつかの心理的、社会的要因が考えられます。 「生活の知恵」と誤認される背景 生存競争の極端な解釈: 人間社会は、本質的に生存競争の側面を持っています。特に資源が限られていると感じる環境や、弱肉強食的な価値観が浸透している場所では、「自分が生き残るためには、他者を蹴落とすしかない」という思考に陥りやすくなります。 この極端な競争原理が「助け合い」という共存の価値観を打ち消し、「他者の弱みにつけ込むことこそが賢い」という誤った解釈を生むことがあります。 短期的な利益追求と結果主義: 目先の利益や即座の成功を追求するあまり、長期的な人間関係や信頼構築の価値を見失うことがあります。 「困っている人を助ける」行為は、すぐには自分の利益に結びつかないどころか、時間や労力を費やすため、短期的な視点で見ると「非効率的」に見えてしまうことがあります。逆に、他者の弱みを利用して利益を得ることは、即効性があるように感じられ、それが「賢い選択」と誤解されるのです。 結果として利益が得られれば、「それが正しかった」と信じ込んでしまう結果主義的な思考も、この誤認を強化します。 信頼の欠如と人間不信: 過去に裏切られた経験がある、あるいは社会全体に対する不信感が強い場合、「他者は常に自分を騙そうとしている」という前提に立って行動するようになります。 そのような環境では、「助けてくれる人は利用できるカモ」と見なされ、「先に食い物にされる前に、自分が食い物にしてやろう」という歪んだ発想につながることがあります。 「お人好しは損をする」という経験則が、善意を嘲笑し、悪意を「知恵」とみなす風潮を生み出すことがあります。 共感能力の欠如または麻痺: 極端な自己中心性や、他者の痛みや感情を想像する共感能力が低い、あるいは何らかの要因で麻痺している場合、他者を単なる「利用対象」としてしか見られなくなります。 また、集団の中での行動(例:いじめ)では、個人の責任感が希薄になり、共感性が失われやすくなることもあります。 社会構造や規範の影響: 一部の社会やコミュニティにおいては、弱者に対する冷淡さや、他者を出し抜くことを奨励するような歪んだ規範が存在することがあります。そうした環境で育つと、上記の行動が「当然のこと」あるいは「生き抜く術」として内面化されてしまう可能性があります。 倫理的な教育や、助け合いの価値を教える機会が不足していることも一因となりえます。 これらの要因が複雑に絡み合い、「弱者を食い物にする」行為が一時的な成功をもたらすと、それが「生活の知恵」であるかのような誤った認識が生まれてしまうのです。しかし、長期的に見れば、このような行動は社会全体の信頼を破壊し、最終的には自分自身の孤立や不幸につながることがほとんどです。 この問題について、さらに何か考えたいことはありますか? -------------------------------------------- |