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嵐の前 7 「代償(中)」 次の日、蔵人は昼頃まで深い眠りについていた。すると突然権大納言がけたたましい音をたてて西の対に入ってきた。 「関白殿の邸に移るとは本当なのですか!?」 蔵人はぼんやりとした表情で起き上がり、 「え、ええ・・・」とうなずいた。 「それはいつですか?」 「今日中と言われております。」 「なぜ?」 「実は、大変な失態をしてしまって、左京大夫様によってまろは都追放の危機にさらされているのです。なので主上にその騒動がおさまるまで関白殿の二条院で暮らすようにとご指示を受けたのです。」 権大納言は眉をひそめた。 「もしかして、宮中で噂の、あれ・・・ですか?蔵人殿が院方に内通していたとか何とか・・。」 蔵人は驚いて大声を出した。 「知っておられたのですか?なら、どうしてまろに知らせてくださらなかったのです!」 権大納言はすまなさそうに肩を落とした。 「まさかそれほど大事になっていようとは思いませんで・・・。しかし、どうしてもっと早くにまろに相談なされなかったのか。さすればいい方法を共に考えられたでしょうに。」 蔵人も肩を落として、 「義父上様に余計なご心配をかけたくなかったもので・・・。」とつぶやいた。 「ところで」 権大納言は真剣な眼差しで蔵人を見つめた。 「蔵人殿は関白殿の想い者になられるおつもりか?」 蔵人はのけぞった。 「ななななぜ、そんな事を?」 「関白殿が昔から蔵人殿に想いをかけていた事をまろは知っております。いつも蔵人殿の行かれる先を目で追っておられた。」 「そして二条院に住まれるという事は、そういう事です。まろも一時関白殿の寵童だったから良くわかります。」 蔵人は再びのけぞった。 「ちちち義父上も!」 確かによくよく見ると、権大納言は男にしてはすべらかな玉の様な白い肌と娘に良く似た黒く丸い目を持っている。40歳をすぎているといってもとてもそうは見えず、まだ30代のように見える。少年の頃はさぞ可愛かっただろうという印象を受ける。 「まろがこの地位に登れたのは、関白殿のお引き立てあっての事。」 蔵人は納得した。(ああ、だから関白殿があんなに気安く引越しの事をおっしゃったのだな・・・。) 権大納言は潤んだ目で蔵人を見た。「二条院には関白殿ご寵愛の随身もたくさんいる。そんな場所で蔵人殿が苛められやしないか、心配です・・。」そして蔵人の手に手を重ねた。 蔵人は義父上がこんな所まで気づかってくれることに感動して、涙ぐんだ。 すると突然権大納言は蔵人の唇に唇を重ねてきた。 「!!!」 蔵人は思わず権大納言から身をかわした。 「何を・・なさるのです!」 権大納言は優しく笑った。 「ずっと、見ていたのに、お気づきにならなかったのですか?・・・そうですね。あなたは主上しか見えていなかった。」 蔵人の額から汗が流れてきた。 「何をおっしゃるのですか?義父上!まろには理解できません!」 「はじめて主上があなたを引き合わせて、娘の婿にして後見する様に、と言われた時から、まろはあなたを慕わしいと思っていました。」「本当なら娘の代わりにまろが結ばれたいと思いました。」 「今まで娘の為に我慢してきましたが・・・もう我慢できません。」 「二条院に行かれる前に、一度だけでいい、まろを抱いてくれませんか?」 「ち・・・」 「こんな中年と情を通じるのは嫌でしょうが・・・。」 権大納言はそう言って体を小さくして微笑んだ。「いや、こんな事を口走ってしまってすみませんでした。本当は一生黙っておこうと思っていたのに・・。黙っておくべきでしたね・・。」 「蔵人殿の荷物の片付けの指示をしてきます。」 権大納言はそういって立ち上がり、後ろを向いた。その背中が淋しげで、蔵人は自分でも思いもしない事を口走っていた。 「義父上には大変お世話になっています・・・一度だけ・・」 権大納言は振り向いて、信じられないようにつぶやいた。 「ほんとうに・・・本当に?」 晩夏の清々しい夜。虫たちの声も静かに聞え始めている。まだ鳴くのに慣れていない虫もいて、鳴き声はばらばらだが、それがかえって風情を感じさせる。 昼の間に、関白殿には権大納言が、今日は方角が悪いので、引越しは明日に延期させるという文を出した。北の方には蔵人が、まだ気分が優れないという文を出した。権大納言は蔵人に風呂に入ってゆっくりしておくように言った。蔵人は帷子を着て、ゆっくり蒸気を浴び、下半身を湯で清め、昨夜の関白の汚れを落とした。そして指貫を履き、その上に袿一枚を羽織って寛いでいた。じっと目をつぶって虫の声を聞いていると、昨夜の悪夢もこれからの生活も嘘のように思えてきて、これからも今までのような平穏な生活が続くように思える。 ほつれ毛が白い肌に映え、かすかに寄せた眉根は少し暗い影を与え、袿の間から白い胸元がのぞいている蔵人の姿はただただ美しく、局の女房達は几帳の後ろからその姿に見とれていた。 日が完全に沈んだ頃、権大納言が塗籠の方に来るよう伝えてきた。蔵人は目を開け、ゆっくり立ち上がった。蔵人は男相手の交合は慣れていたが、今までと逆の体勢なので、いささか不安は感じていた。しかしそれよりも、二条院に引越す日にちが一日伸びた事で権大納言に感謝の気持ちを抱いていたので、権大納言が喜ぶ事ならなんでもしてやろうと思っていた。 塗籠に近づくと、琵琶の音が聞えてきた。 「山城の 狛のわたりの 瓜つくり なよや らいしなや さいしなや 瓜つくり 瓜つくり はれ 瓜つくり 我を欲しと言う いかにせん なよや らいしなや さいしなや (山城の狛のあたりの瓜作りが なよや らいしなや さいしなや 瓜作りが 瓜作りが はれ 瓜作りが 私を嫁に欲しいと言う どうしよう なよや らいしなや さいしなや)」 権大納言は白い単に青い薄物の直衣を着て、琵琶を弾いていた。直衣の下からは白い色が透けて、まるで水の中にいるように涼しげだった。そして艶のある美しい声で謡いながら、蔵人の方を見上げて、にこっと笑い、少し腰を持ち上げて軽く立てひざをしながら、塗籠に続く妻戸を開けた。蔵人は権大納言に礼をして、塗籠に入った。 その中はさながら極楽だった。 薄物の御帳台、薄物の几帳と調度が全て薄物で揃えられていて、紙燭の明かりをぼんやり通して、幻想の世界にいるようだった。香は麝香で、甘い香りに蔵人は幻惑させられた。どこにしまってあったのか、机の上に破璃(ガラス)の瓶子が置いてあり、白磁の器が添えてあった。 権大納言は蔵人について塗籠に入ってきた。 「義父上・・・この趣向は?」 「婿殿との大切な一夜なので、できる限りの事をしようと思ったのです。」 「琵琶の演奏がとても上手でした。長年こちらに寄せていただいたのに、お聴きしたのは初めてでした。」 「蔵人殿は内裏に詰めていた日が多うございましたからな・・いやいや、こんな暗い話をしていてはもったいない。ところでなぜまろが催馬楽の『山城』を謡ったかお気づきになりましたか?」 蔵人は困った顔をして権大納言を睨んだ。 「催馬楽のうちの一つだという事はまろにも分かりましたが・・・文芸に疎いまろにそんな事を聞かれても分かりません。」 「『源氏』の源典侍(げんのないしのすけ)に自分をなぞらえてみたのです。彼女は老いて白髪になっても若作りをして、自分の息子ほどの年の光源氏と情を通じようとして、琵琶を弾きながら『山城』を謡って誘惑しました。まろはこんなに年を取ってしまったのに自分の義理の息子を誘惑している・・・全く滑稽譚の材料にしかならない醜い恋情です。」 蔵人はこれ以上権大納言が自分を責めるのを見ていられなくなり、うつむいた肩を抱いて言った。 「権大納言は可愛らしいです・・・それは見かけではない。年をとっても心までは年を取っていない事は、まろにも分かります。」(そして、お可愛そうに主上はあの若さで心は老人の様につかれきっていらっしゃる・・・) 権大納言は無理に明るい声を出して蔵人を酒の置いてある机に誘った。蔵人はまず岳父である権大納言にしゃくをしようとしたが、権大納言はそれをさえぎって、蔵人に注いだ。酒は紙燭の明かりを受けてきらめいた。酒が入るうちに二人はいい気分になってきて、権大納言は再び琵琶を取り、謡いだした。 「我が家は 帳(とばり)帳(ちょう)も垂れたるを 蔵人来ませ 婿にせむ (私の家は 御簾や几帳を垂らして飾ってあります 蔵人さまおいでなさい 婿入りなさいませ)」 蔵人はふふっと笑った。「この位ならまろにも分かります。大君の部分を蔵人に変えたのですね・・・。」 権大納言は続きを謡った。 「御肴(みさかな)に 何良けむ 鮑(あわび)栄螺(さだを)か 石陰子(かせ)良けむ 鮑栄螺か 石陰子良けむ (お酒の肴は何にしましょう 鮑か栄螺か、それとも石陰子がお好みですか 鮑か栄螺か、それとも石陰子がお好みですか)」 蔵人は興奮してきてうつろな目で権大納言の撥を握る手を掴んだ。権大納言は期待と不安に震える目で蔵人を見つめた。 「まろは義父上の石陰子(かせ)が欲しい・・」 蔵人はゆっくり琵琶を横に置いて権大納言の唇を吸った。 蔵人は権大納言の袍の上半身を脱がし、単も外して、乳首に吸い付いた。権大納言の体は、少したるんではいたが見苦しくなく、白い肌が綺麗で、触ると柔らかかった。乳首を舌で愛撫され、権大納言は満足げな吐息を漏らした。そして蔵人の袿を肩からすべり落とし、首に熱い息を吹きかけ、耳を軽く噛んだ。 蔵人はそのまま権大納言を後ろに倒した。太ももに権大納言の熱いものがあたって、より蔵人の興奮を誘った。 そのまま手を下に滑らして、袍をむしりとり、指貫を下ろした。唇で乳首を掴みながら、両手で尻を触り、奥に指を入れると、権大納言は、「あぁん・・もっと・・・」と鼻にかかった声を出した。 その声が娘のものとそっくりで、蔵人は北の方が喜ぶ脇腹の愛撫を行ってみた。すると、権大納言は体をくねらせて嬌声を発した。蔵人は昼の落ち着いた様子の権大納言との余りの違いにびっくりし、少し体が震えた。 (なんという違い・・・昼は学者の様に物静かだが、夜は遊女のようだ・・もっと鳴らしてみたい・・) 蔵人は男としての征服欲がむくむくと体をもたげてきて、自分の指貫も脱ぎはなって、権大納言の下半身を抱いて、ぐっと自分に引き寄せ、挿入しようとした。・・が、しかし、いかんせん慣れていないため、入れる勇気が湧かず、そのままの姿勢で瞳に動揺を走らせた。 上を見てあえいでいた権大納言は蔵人の様子を察して、体を起こして、にこっと笑った。 「そのままにしておいてください。まろが全てして差し上げます。」 そして宋渡りの螺鈿の小箱を手につかんで蔵人の下半身にひざまずいた。白く丸い体が上気して桃色に染まっていた。 権大納言はその小箱からなにやら甘い香りのするねばねばした液体をすくい取り、蔵人の物に優しく塗り始めた。ぬるっとした感触と甘い香り、繊細な指の感触で蔵人はすっかりいい気持ちになった。「あ・・・」元気良く蔵人のものは勃ちあがり、その滑稽さに少し恥ずかしくなった。 「権大納言殿・・この気持ちいい液体は、何ですか・・?」 「胡の国の王侯貴族が妃との交合の時に使われるという香油です。」 「なぜ、権大納言がそんなものを・・」 「関白殿が大宰大弐から献上されたものをまろにくれたのです。」 蔵人はちょっと暗い顔で権大納言に聞いた。 「これを以前に二人で使われた事は・・?」 権大納言は少し笑った。目尻に皺がよって、顔がより柔和に見えた。 「ないですよ。関白殿のご寵愛は、まろの娘が産まれた時から途絶えています。」 そう言いながらも権大納言は手を動かし続けていた。そして蔵人の急所を強く弱くまろやかに刺激した。 「あっ・・はぁ・・・そこは・・あ・・」 「行きそうですか?」 蔵人は荒い息をしながら、切なげに眉を寄せ、必死でうなずいた。 「ちょっとこらえていてください!」 権大納言は自分の穴に急いで香油を塗りつけ、蔵人の上に馬乗りになった。ずぷっと音がして、権大納言のものが奥まで蔵人のものをしっかりくわえこんだ。 権大納言は恍惚の表情になりながら、「あぁ・・・気持ち良い・・・こんな快感は久しぶりです・・・」といい、体を上下させた。権大納言の中はしっとり湿っていて、まるで女の中に入れているような錯覚を覚えた。 蔵人はもう我慢できなくなって、権大納言の腰にしっかりしがみつき、不器用に腰を動かし始めようとした。権大納言はそれに気づき、 「そのまま。肘を下についてください。」 そして、自分も激しく上下し始めた。 「あっ・・・あん・・・」蔵人は完全に権大納言に導かれるまま、快楽の渦に巻き込まれていた。 「行きますか?」権大納言が聞くと、蔵人はうなずいた。 びくん、と二人の体が同時に動き、権大納言の体が後ろに倒れこんだ。蔵人もそのまま脱力していた。 半刻後、御帳台の中で二人はゆっくりと体を横たえていた。 権大納言はうつ伏せになって夢心地で言った。 「まろはこんなに幸せでいいのでしょうか・・・もうこれを一生の思い出にして、死んでもいいです。」 蔵人は優しく背中に手を回しながら耳もとにつぶやいた。 「権大納言殿に死んでもらっては困ります・・これから北の方との間に子供もできるでしょう。その子供達にこの馬鹿な父親に代わって教養を教えていただかなくてはなりません。それに義父上が亡くなっては北の方も悲しみます。」 「そうですね・・・」 権大納言は悲しげに微笑んだ。 「蔵人殿は関白殿の事がお嫌いか・・?」 蔵人は権大納言の方を見た。 「何ゆえ、そのような事をお聞きになるのですか・・?」 権大納言は目を伏せて言った。 「いえ、余りお気が進まれないようなので・・」 蔵人は目を逸らせて言った。「もと寵童の権大納言には言いにくいです・・・」 「やはり・・」権大納言の吐息が聞えた。 「こういう事には相性がありますからな。・・それとも何か他の原因がおありか?」 「実は・・・」蔵人は昨夜あった事を話した。権大納言の顔色が変わった。 「なんと!だから昨夜はそのように憔悴しておられたのですね・・・。てっきり大路で賊に絡まれたのかと思っておりました。それにしても酷い・・主上の前でなんて・・・主上もよくそんな事をお許しに・・・」 蔵人はかすれた声で言った。「いいのです。意に沿わぬ相手に犯されるのは僧坊にいた時からよくありました。そんな事は慣れています。」「ただ・・信じられると思った方が信じられなくなったのが辛かっただけです。」 権大納言は蔵人をいたわるような目で見た。主上の事を言っているのが分かっていても、今の彼にはどんな言葉も癒しにならない事が分かっていた。そして体を起こして、厳しい目をして、外の方を見た。 「関白殿は美しいものをこよなく愛される方。関白殿の館には財力を尽くして収集した美しい文物がいろいろ揃っているはずです。」 蔵人は少し不満げな顔をした。 「・・まろは関白殿の収集品のひとつとなる訳ですな。」 「そういう風に考えては、この世界を乗り切っていけませんよ。美しいものを見て、周りの人々に質問して知識を吸収して、誰にも文句のつけられないような人物になってやろう、という位の気概を持たなければ、主上のもとに戻れません。」 権大納言の真剣な顔を見て、蔵人はくすっと笑った。「・・こんなまろを元気付けてくれようとしてくださるなんて、義父上はお優しい・・・」 蔵人は背中から権大納言を抱きしめ、頬に接吻した。 「本当に素晴らしい体験をさせていただきました。この一回で終わってしまうのはなんとも淋しい。二条院に移っても、北の方に逢ったり、義父上に今後の事をご相談したいので、こちらにはちょくちょく来るつもりです。その時には、またここで、逢って頂けますか?」 権大納言は、信じられないような顔をして驚いていたが、しばらくして、少女のように顔を紅くして勢いよくうなずいた。 (つづく) |