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◇◆◇609 Studio メール・マガジン◇◆◇ 2005/9/13 No.226 【609 Studio 】メールマガジンは「現代社会を斬る!」をコンセプ トに論説委員Ken氏の論説「現代時評」をはじめ、サハリン情報 として、ロシア唯一の韓国語新聞サハリンの「セコリョ」ダイジェス ト版、その他、寄稿記事など話題満載! 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)だったわけである。 ■■ミシシッピ−流域開拓の前半は、米東海岸地区から中部地域へは アパラチア山脈に阻まれて徒歩または馬車による移動が不可能に近く 、正確な地図すら無かった。最初の独立13州のみが米国との認識も あり、山脈から西は広漠たるインデアン居住地に過ぎなかった。 そ のころ、舟行、とくに大洋を航行する航海技術は、全世界に渉ってほ ぼ完成されていた。 が、陸路長距離旅行の技術は全世界ともひじょ うに遅れていた。唯一の例外は中国・ヨロ−ッパ間の、いわゆるシル クロードであった。 ■■北米大陸で、東海岸から中部地帯へ行くには、大西洋を南回りで メキシコ湾岸に至り、そこからミシシッピ−河を遡行するのが一般的 な通路だった。その河口にニューオーリンズの町が発達し、流域にセ ントルイス、セントポール、シンシナチ、ピッツバーグのような商工 業都市が数珠繋ぎに発達したのはとうぜんの成行きであった。つまり 、米東海岸と、ミシシッピ−流域は隔絶した、別の世界であったわけ だ。 ■■ミシシッピ渓谷は、最初、5大湖方面から南下したフランス人の 勢力と、ニューオーリンズから北上したフランス人たちによって支配 されていた。ルイジアナの地名はフランス王ルイに起因するが、それ も今のルイジアナ州だけではなく、ミシシッピ−・ミズリー河一帯の 広範な地域の汎称であった。 ■■1803年、米国がフランスからニューオーリンズを買収するに 際して、米国はニューオーリンズとその付近だけの予定だったのが、 英国との争いに負け続けのナポレオンは戦費に困り、今のうちにニュ ーオーリンズのみならず、カナダ国境に至るまでの広域を米国に売り 飛ばす方が有利と考えた。 そして、いまのモンタナまでを一轄して 1500万ドルで米国に売却する提案をし、交渉にあたったジェファ ーソン米国大統領自身も驚いた、といういきさつがある。 ナポレオ ンもジェファーソンも、ミシシッピ−流域の地図などぜんぜん知らな かったらしい。 ■■米中部の領有権については、フランス・米国とも確固たる認識が 無かった。いわばミシシッピ−流域についての「入植優先権」といっ たふうなものを、フランスが米国に売り渡しただけである。 後世、 それを米国では「ルイジアナ・パチェース」と称し、歴史上偉大な取 引として誇っているが、その発端はミシシッピ−河口に近いニューオ ーリンズという、通商の要衝を買収するだけの目的だったのである。 ■■もっとも、ニューオーリンズ港そのものは、ミシシッピ−河口に はない。河口より200Kmも遡った内陸の、ミシシッピ−河畔の数 キロメートルに渉る砂地に設けられた港であった。 ミシシッピ−の 水が遥か遠く、メキシコ湾に注ぐ辺りは「ベニス」という地名の大湿 地帯であり、ミシシッピ−そのものは流れ出る砂によって、いまなお 南に伸びつつある。 ■■300年の昔すでにミシシッピ−は、北アメリカにおける交通輸 送の大動脈だった。 低部が平らなフラット・ボートとよばれる河舟 によって、木材や穀物が緩やかに川を流れ下った。この渓谷の広大な 土地に産する各種の産物がニューオーリンズに集まり、そこから輸出 された。 ボートは通常、ニューオールリンズで解体され、材木として売却さ れ、船主である農夫や商人は、売上代金を抱えて徒歩や馬で元の上流 へ帰っていった。 絵に残っている巨大な外輪蒸気船が出現したのは その次ぎのことである。1811年にはミシシッピ−に外輪船定期航 路が開設された。 ■■ニューオーリンズ付近は、土地が低く水位が高いのに加えて往年 の名画「雨のニューオーリンズ」が象徴する通り米国でも有名な多雨 の湿地帯で、昔は、黄熱病が流行った。 ニューオーリンズを買収し た合衆国政府は、排水のため運河を掘り、世界最大の排水ポンプを敷 設するなどして、都市の改造発展に努めた。結果、一時は人口70万 人を数え、ガルフ・ミシシッピ−における最大の都市にまで発展した 。そのとき開かれた運河が、今回のハリケーンで潰決したのである。 ■■ニューオーリンズは都市としては発展したが、集まったのは殆ど 貧民労働者で、その傾向は今日なお継続している。2000年の国勢 調査では、白人28%、黒人67%、ヒスパニック系3%、アジア系 2%で、ネイティブ・アメリカン、つまりアメリカン・インディアン は0.2%に過ぎない。 特筆すべきは、18歳以上の男子80人に 対し女性が20人であることだ。 ■■また別の統計によれば貧困層30%。さらに子供の半数と、65 才以上の老人の20%が、貧困を通り越して、極貧層と格付けされ、 それらの人々が今回のハリケーン災害で逃げ遅れた、と推定されてい る。 ■■CNNの調査では、「ニューオーリンズは復興出来ないだろう」 と答えた人56%に対し、「復興すべきだ」が65%になっている。 表向き復興出来たとしても、市域の殆どが海面ゼロ・メートル以下の 土地であるという事実は変わらない。さらに、巨大なハリーケーンの 通路であるという気象上の悪条件も、未来永劫に続く。 いたずらに復興を叫ぶよりも、この際、英断を奮って、ニューオー リンズという都市のすべてが移転すべきだ。幸いにして、米国は国土 、すなわち土地は広く、日本などの比ではない。 ───────────────────────────────── ◆[セ・コリョ新聞ダイジェスト版] 2005年8月12日号 発行 ユジノサハリンスク市 翻訳 Kil Sang ◇詳細/写真、記事、は関連Webへ → http://www.609studio.com ───────────────────────────────── セコリョ新聞日本語版は訳者が海外へ調査旅行中でお休みです。 ───────────────────────────────── ◆[編集長から] Michio Katayama ───────────────────────────────── 長い間、休みました。再開です。 ようやく秋の気配が感じられる時が日増しに多くなってきました。 サハリンではもう冬支度・・・。 ◆自民圧勝の総選挙。波乱の幕開け。右傾化の加速。 ◆ハリケーンがアメリカを襲った。イラクに眼を向けている間の油断。 9・11の被害者家族からも「テロとの戦い」を進めるブッシュ政権に 疑問の声しきり。 ──────────────────────────────── 発行 2005年9月13日 No.226 編集・発行 609studio Michio Katayama 発行 毎週火曜日 購読料無料 配信 まぐまぐ配信システム ID:0000052236 MailuX配信システム ID:MM3E1B97842E020 e-mail w_m@609studio.com website http://www.609studio.com 投稿 http://www.609studio.com 掲示板へ 購読 購読解除は websiteへ ◇禁・無断転載◇ ─────────────────────────────── |